捨てる


あと数日でサンクスギビンデーで、それが過ぎると、もう心は上の空。だから、このbookscanner記も、今年残すところ、数回。

というわけで、「本の電子化」に関係する今年最後の大きなテーマは、「捨てる」ってこと*1。おそらく数回シリーズ。


http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/20061110で書いたんけど、おおざっぱに言って、「スキャン料金は、残したい思い出の量に比例する」わけ。そうすると、いかに「思い出」を捨てれんのか、ってのが、スキャンプロジェクト成功の鍵を握ってんよね。この「捨てる」ことに失敗すると、とんでもないコストにつながって、道半ばで挫折することになる。だけど、捨てりゃいいってもんでもない。そこには、「捨てる」もんと「捨てない」もんのバランスや、「捨てる」んだけど別の形で残す、など考えるべきことはたくさんあるよね。


というわけで、「捨てる」を考えるために、まずはいろんな意見を聞いてみよう。最初に、「捨てず」に後悔した(だろう)人、「東京都豊島区の築30年の木造アパートの2階に住んでた地方公務員男性」さん。*2事件の要約は、

東京都豊島区の築30年の木造アパートの2階に住む地方公務員男性(56)の部屋の床が、ため込んでいた雑誌や新聞の重みに耐えきれずに抜け落ちた。男性は約2時間後、レスキュー隊員に救出されたが、全身打撲で重傷。

(中略)

男性は81年に入居して以来、ひとり暮らし。目白署によると、雑誌は「数千冊」はあり、アパート入居前の70年代のものもあった。「週刊プレイボーイ」「週刊ポスト」や漫画雑誌「少年ジャンプ」のほかに「月刊陸上競技」や「宝塚おとめ」まであり、80年代、90年代のスポーツ新聞もあった。また、森尾由美小泉今日子倉木麻衣など時代を問わずにアイドル関連本も並んでいた。総重量は6000キロ(6トン)以上あったとみられている。

(中略)

救出の際に取り出した雑誌だけを並べても高さ約50センチ、幅約1メートル、長さ約30メートルに達したという。

ということらしい。もし、この人がたまたま「築30年の木造アパートの2階」に住んでたから発覚したことだとすると、世の中には、何トンもの雑誌に囲まれて生活してる人ってのが、案外いるんかもしんないな。(あと全然関係ないけど、救出の際に取り出した雑誌を並べて、0.5mx1mx30mになったって言うけど、なんで並べたんだろう?しかも、すご〜い縦長の長方形に並べてんだけど、何か意味あんのかな?3mx10mとか5mx6mとかに並べなかったのは、なぜ?なんでこんな疑問をいだくかっていうと、大量スキャン現場では、本の一時置き場ってのが絶対に発生するでしょ。そんとき、いろんな理由から、この記事にあるように、「すご〜い縦長」に近くなると思うんだよね。何か親近感が沸いたよ。)


次に、捨てて「後悔」してる人、札幌在住(と思われる)三上さん。(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20061108/1162993810

私が後悔していることの一つは、一昨年アメリカに発つ前に、大量の蔵書を手放してしまったことである。

(中略)

帰国してから、やはりどうしても手元に置いておきたい本をぽつりぽつりと買うようになって、その殆どが一旦は忘れようとして手放した本であることに驚くと同時に合点もいった。

(中略)

今なら、理想的には、美崎薫さんのように、すべてを電子化した上で、本として身近に置いておきたいものだけを残すということをするだろう。しかし当時の私は記録することは全く念頭になく、しかも無自覚な忘却主義者だった。


というわけで、結論として、「理由はともあれ、本を整理しなくちゃならんときはいずれやってくる。そんときに、電子化ってのは確かに良い手段なんだけど、電子化の限界っちゅうもんも、ちゃんと理解しとかんと、きっと後悔すんよ。後悔はつきものなので、なくすことはできんだろうけど、後悔を最小に食い止めるために、本の電子化において何が問題なのかってのを少し整理しといたほうが良いなって思ってる」ってこと。そんなわけで、次回は、ロサンゼルスの近くにある大学図書館でもめてる「捨てる・捨てない」論争を紹介すんね。

*1:年末の大掃除も控えてるしね。

*2:当時のニュースはhttp://web.archive.org/web/20050208234107/http://www.nikkan-kyusyu.com/view/ts_1107824349.htmで読んでみてね。場合によっては、エンコードが正しく表示されなくて、宇宙文字になっちゃうから、エンコードを変更すれば、ちゃんと見れるよ。